bluefish

My favorite things and my life

Japanese migration to Brazil

japantoday.com

 Monday, July 23, 2018

The passenger ship Kasato Maru from the port of Kobe had 781 people of the first immigrant arrived at the port of Santos in Brazil in 1908. And this year, 110 years have passed since emigration started from Japan to Brazil for the first time.

 

At that time, it took 2 months from Japan to Brazil. And when I think about  hardship of immigrants, my tears flow. Even now, Brazil is so far away from Japan, however I hope to go there someday.

 

I found this article when I searched about the Brazilian immigrants.

 

日系ブラジル人 - Wikipedia

There was language called “KORONIA-GO” as a way for communication between the first generation Japanese who spoke only Japanese and the second generation who spoke Japanese and Portuguese.

 

 

移民781人を乗せて神戸港を出港した最初の移民船「笠戸丸」がブラジルのサントス港に到着したのは1908(明治41)年です。そして、日本からのブラジル移住が始まって今年で110年だそうです。

 

当時は、日本からブラジルまで船で約2ヶ月もかかったんですね。そして、移民の皆さんのその後のご苦労を思うと涙が出ます。今も遠い国ですがいつか行ってみたいです。

 

ブラジル移民について調べていたら、こんな記事を見つけました。

 

日系ブラジル人 - Wikipedia

 日本語で基礎教育を受け、日常生活において日本語を中心に話す日本人移民1世と、ポルトガル語で基礎教育を受け、ポルトガル語を中心に話す日系ブラジル人2世や3世(とそれ以降の世代)との間のコミュニケーション手段として、日本語とポルトガル語を織り交ぜた「コロニア語」が、ブラジルの日本人社会で広く使用されるようになった。

 

コロニア語の例

コントラットはせんとじゃが人手の足らんけんポル・ジア、三十ミル・バーガスしてコミーダもカマもこっちゃ持ち、仕事はトマテのマタ・ビッショくらいのことじゃ、ボン・ネゴシオじゃにセマーナもたたんうちにもうマンダ・エンボーラ言いよる。大方ポル・ジアもろたらまたよそへ行って同じこと稼ぐんじゃろ。エウ・ノン・テン・ジネロ」

 

(契約はしないのだが人手が足りないから日給30千バーガスして食事も寝どこもこっち持ち、仕事はトマトの殺虫くらいのことだ、うまい話なのに、一週間もたたないうちにもう辞めると言ってくる。大方日給もらったらまたよそへ行って同じように稼ぐんだろう。うちに金はないよ。)